1980-07-25 第92回国会 参議院 本会議 第3号
向井長年君は、明治四十三年十一月、奈良県室生村に生をうけ、少年時代から俊秀の誉れ高く、長じて東京への遊学を志され、日本大学専門部法科に学び、卒業されて後は、直ちに帰郷の上、関西電力株式会社の前身である東邦電力株式会社に入社され、卓抜した手腕を発揮しその将来を嘱望されたのであります。
向井長年君は、明治四十三年十一月、奈良県室生村に生をうけ、少年時代から俊秀の誉れ高く、長じて東京への遊学を志され、日本大学専門部法科に学び、卒業されて後は、直ちに帰郷の上、関西電力株式会社の前身である東邦電力株式会社に入社され、卓抜した手腕を発揮しその将来を嘱望されたのであります。
大正十三年に東邦電力株式会社が水利権を得ましてこれを日本発送電株式会社に譲渡し、更に又昨年中部電力株式会社に継承されて参つたのであります。
○平井証人 大正十五年に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業いたしまして、ただちに元の東邦電力株式会社に入りました。
昭和六年東邦電力株式会社社長、それじやこの通りにしておきます。私また思い違いをしておりました。それから昭和十二年東邦産業研究所理事長、昭和十四年日本発送電株式会社理事、それから昭和十五年東邦瓦斯株式会社会長、それから昭和十八年に東邦産業研究所理事を辞し、昭和二十一年一月再び東邦産業研究所理事長となる。昭和二十四年十一月二十四日電気事業再編成審議会委員の委嘱を受く。
○松永証人 略歴は、原籍長崎県壱岐郡石田村三百六十番地、神奈川県小田原市板橋町五百十七番地、松永安左衞門、明治八年十二月一日生、学歴、明治三十一年慶応義塾卒業、主なる職業というものはたくさんありますが、まず明治四十四年九州電燈鉄道株式会社重役、昭和六年東邦電力株式会社社長、——東邦電力というものは昭和十一年にできたのですが、ちよつと日が違つていますね。